セミリタイヤ 時々○○…

あれこれいろいろ半分降りてみた 3歩くらい下がって思うこと

変わるとか、変わらないとか、変わりたくないとか

大真面目に心理学の理論Blogを書いております
「偽りの仮面を脱いで…心の声を聴いてみよう」
生きにくさを感じている方、変わりたい方のサポートになればいいなぁ…がコンセプトと言っておこう コンセプトってカッコいいと思うショウワ生まれ

生まれ持ったキャラで生きている人はほとんどいないと私は考えている
自分本来の気質と一応つけてみた仮面のギャップが辛いとか苦しいと感じている がしかし、一度つけた仮面を外すにも勇気が要るし、怖さもある
仮面は必要です 仮面は社会適応のツールになる 社会性の現れでもある 意識的につけたり外したりしているならそれでいいのです

自分のエッセンス・本質の周りにアレやコレやと重ね着して今の自分になっている ロシアのおもちゃ、マトルーシュカのように入れ子状態、さて自分は何者か?と考えても分からないのは本質が見えないから

心の重ね着は悪か?
人類皆、人形劇のような…仮面舞踏会のような…バーチャルの世界で生きている、もー全部ウソ!のようなイメージを持つかもしれないけれど悪いことばかりではない

イワユル、育ちの良さ、決してお金持ちの余裕かました生活の意味ではなく、世界は喜びに満ちている確信を持っていてネガティブ要素の少ないタイプの性格を持っている人は本質の上の重ね着がポジティブなことと想像できるのです

偽りの仮面が要らない人も確か存在します
そしてこういう人は必要に応じて仮面をつけて外せるタイプでもある

人生は光に満ちている、例えたまに雨が降っても、雪が積もっても明るい太陽は必ず昇ってくる それが世界だ

こんな確信があるんじゃないかと…

 

さて…

 

とあるスーパーマーケットにてばったりあった二人 ご挨拶のその後で

とある方:「私は仮面を外したくありません」

私:そうですか

とある方:「今更本当の自分になっても仕方ありません ずっとこうだからずっとこうなんです」

私:今は…自分はこうだ…ですか…

とある方:「これでいいと思います!」

私:じゃ、それでいいのではないかと…

とある方「…」

私:(そんなに睨まなくてもね…)

人生は欺瞞に満ちている 雨は降るし風も吹く、天変地異に臨むなら自分は武装しないといけない 世界は危険

昔の私がいるなぁ…と思い出す昼下がり

 

この自分でいいならいいじゃないか、というだけのことなのだが
わざわざ私に唐突に話すことなのか?
話さないではいられなかったのか、衝動的に口からでたのか
きっと私に反論して欲しかったのかもなぁ…でも、普段私はカウンセラーでも心理学研究してる人でもない フツーのおばさん

カウンセリング以外の場所で相談は受けませんが…なにか…

さておき…

いろいろな解釈はありますが…

衝動的な行動や言葉使い 自分で制止できないこと=理性がぶっ飛ぶことには自分でも気がついてない意味がある だから後で「何故あんなことを言ったのか、やったのか」と恥ずかしがったり、悔んだりが一通り終わったら、別な自分になってきちんと分析してみた方がいいです これをネタにプロに相談するのもいいかもしれませんよ…

「仮面を外せ、素でいきてみたら?」と言ってるカウンセラーに仮面を外したくないと言う、私は嫌だと表明することにナニカ意味がある
無意識さんの仕事は興味深い

変わりたくないと言えば言うほど、変わることに抵抗を示せば示すほど ナニカがそこにある心理学のお決まりです しかもカウンセラーに言うのか…
いやいやいや…カウンセラーだから言われたのだろう…

無意識さん恐るべし…

無意識さんとは仲良くしてください
無意識さんも自分の一部でたまに存在をアピールしてきます

 

とは言え…

私には日常茶飯事カウンセラーのイメージがあるのか?
意識しなくても匂うのか 良いのか…悪いのか…
これで友達失っている???
S・ホームズじゃないんだから

無意識さん恐るべし…

 

そんなこんな