セミリタイヤ 時々○○…

あれこれいろいろ半分降りてみた 3歩くらい下がって思うこと

話すこととか、心理学とか、葛藤とか、

数年前から「関係対話アプローチ」を勉強している

参考:養成講座 | こころの研究所 関係対話ゲシュタルトセラピー

この仕事についていると一生何かしら勉強していないといけない
と私は考えているkれど
もー自分はだいじょうーぶー極めてしまった~という方も多いんだ
価値観の違いってヤツ

 

さておき…

 

今年初めてのトレーニングはクライエントの私
大真面目に真摯にクライエントでワークした
もー自分はだいじょーぶというタイプはクライエントができない場合があるんだよね…は脇に置いて…と

波乱の幕開けとなった2024年
大きな出来事が自分の内側にどんな影響を及ぼしたのだろう…
敏感タイプの私は身体の調子も悪くなってしまっていた

最近の体験を数分話してみるワーク
話している間に内側が忙しくなってしまう
この後ワークになったワケです

ワークの内容は省きます
東日本大震災に関連することでもあって触れたくない方もいるのではないかと…

 

”こころ”ってもんはいつも動いている
同じ形を保つことも難しい
”こころ”が自分なのか、”こころ”を持て余しているのが自分なのか
あるいは”こころ”と自分は違うものなのか…
心理学の先達がチャレンジしてきたテーマに少しだけ首を突っ込んでみたくなる

 

自我と自己は違うはたらきをする

そうだよなぁ…

素晴らしきかな心理学

 

もやもやには意味が含まれているし少しだけ未来がある

そうだよなぁ…

なるほど…

 

知っていて実践するのが心理学の醍醐味

 

うむ…前置き

 

さて…
新年初ワーク

自分としてはとうの昔にケリをつけたと思っていたことが現在進行形だったという内容だった ケリがついたどころか私は自分をゆるしちゃいない部分があった
理屈を言えば葛藤を見つけてしまって統合できないってヤツ
だったら、ぶち破って統合したら?
多分、多くのセラピー(セラピスト)がそんな道を選ぶし、そう訓練されてきてる

でもね…
内側の深い部分まで分け入ってるワークは小手先のワザは通用しない
今まで学んできたことは役に立たないし、理屈を当てはめられない
ひとりの個性的でユニークな感覚、感性、パーソナルな理屈の世界なんだね

 

私は私に対して失望している部分がある
だけど、よくやってきてると認めている部分がある
いろいろな自分を知ってる部分がある
自分の周りを観察し対応している部分がある

この部分たちが徹底的に対話しないことには私は部分の集合でいるしかない
普段はどこかの部分が主導して生きてる
均衡が保てていたら健全に過ごしているってこと

 

人の心はデコボコしていて
場面場面でいろいろ使い分けている
デコボコが飛び出している部分は得意かもしれないけれど
全くできないこともある

心理学はこういうデコボコにクッションのようなものをコーティングして球体に近づけるアイテムじゃないかと私は考えている
※追記:アイテムの意味 項目、 条項、品目、品物
私は本人・本質と異なる 本質に向かうために使うものという意味で使用

 

私は自分を残念がって、ナニカ嘆きを含んでいる部分

日常を営んでいろいろな事にケリをつけている部分
が対話して落としどころを探る
と簡単に言ってるけれど、この作業は独りではできないんだ

誰かが側にいて丁寧に一緒に辿って初めてたどり着ける場所がある

とにもかくにも話さいないと…
スキルやロジックでは行きつけないんだ

 

ことのはは はじめていいしる わがおもい

お粗末!

 

HSP とか、多様性とか、心の宝さがしとか

一時「HSP(Highly Sensitive Person)」が妙に流行った
いや…今でもか…
Google先生に聞いてみたらHSP大渋滞中

気になる方は是非こちらを
※参考:エレイン・アーロンの著書『非常に敏感な人』

エレイン・アーロンのホームページ The Highly Sensitive Person

「とても敏感な人」「非常に繊細な人」「感受性が強い人」
というカテゴリが出来上がっていて
この傾向を専門にしているセラピストが沢山いるってことです

※HSE:Highly Sensitive Extroversion 外向的HSP
社交的な部分と繊細な部分を持ち合わせる 高い社交性があるがゆえに、人と会う機会が多かったり交流をし過ぎたりしてしまい、刺激を受けすぎて疲れてしまう 
※HSS:High Sensation Seeking 刺激追求型内向的

内向的で刺激を避けて静かな生活を好む人が多い一方で、外交的で刺激を求める
産業労働の世界のHSE:Health(健康)・Safety(安全)・Environment(環境)があります
こちらは安全で健康的な生活ならびに職場での事故やけがの防止、環境負荷の低減が目的

先に言ってしまう、私は該当してます
HSP診断テストでは間違いなく該当するし、更に外向き傾向がある少数派(HSE)だそうだ
HSSという説もあるけれど人間の特性が機械のようにスパッと分けられることもない どちらもあるのでしょうねぇ…

苦労話を少しだけ…
心理的な過敏さもあるけれど身体的な過敏もある 大音量が苦手で映画館では耳に綿球を入れて音量調整、サングラスは必需品、紫外線対策だけでもない、音も光も頭痛の種になる。匂いも同じアロマの独学は時期防衛の意味もある

心理的な話は今更言っても何が変わるワケもないので…
と言うか…
手当はもう充分やってきて、話して癒されるモードでもなく
もう思い出のアルバムに貼ってしまった気がしている

「情報が入り過ぎ想像・妄想が豊かで、その情報があたかも自分の事のように感じて心を痛めるタイプ」
特別なビョーキではなく個人の特性、キャラ、個性と考えるべきであろう

とエラそうに言っても、私がHSEを克服したワケでもなく、どう付き合うか自分で探して磨いてきて、何がどうなったら手当しないといけないか理解している(つもり)故に対策ができている
心理学のお陰様

 

私の面倒臭い特性は「HSE」という名前があって解説もある
だから楽なのである
自分にとっても、社会生活を送るのにも使える
「私はHSEってヤツらしくて、面倒くさくてすみませんね~」
と言える…これもHSEの特性らしいが…

 

とある特性を持っているけれどナニカ分からない場合
とある特性を持っていること自体「変」でしかない
とある特性を持っている自分が「悪」に変換され苦しむ

昭和に育った年代なら間違いなく「変な子」で強制修正させらたに違いない

心の問題は時代背景を考えないといけません
昭和の子供と平成の子供と令和の子供は違います

さておき…

自分が「変」だと思いながら社会で普通に生きていくのは大変なエネルギーが必要です
そのエネルギーが枯渇して、キレたり、籠ったり、遠ざかったりする
それはそれで大切なんだけどね…

エレイン・アーロンさんのHPには
「この特性は新しく発見されたものではなく、誤解されてきたものです。」
と書いてあります

感受性が高い、神経質、変り者、
私の住む地域では「神経たかり」と言って扱いにくい人認定されてきたワケ
周りから言われ続ければ本人もそう思いこんでいく

生きにくい人は生きにくい人になるように育ち、今に至っている

アーロンさんの言うように誤解され、仕方なく生き方を修正してきたタイプがいる
それから、修正を拒んだか修正が馴染まず混乱したまま成長したタイプ
もうひとつ、「HSP」が認知され自己認定して社会から積極的に離れたか、馴染めないまま生きているタイプ(このタイプはこの先の生き方は注意しないと…)

私はこう考えている

 

だから???

 

あとは自分でどうするか決めないといけない
決めたら躊躇なくそうしないといけない

世の中では個性とか、多様性とか言うけれど
自分の特性が万人に理解され、
受け入れてもらえるとは思っちゃいけない

だからと言って
閉鎖的コミュニティを作ってその中だけで棲息しようとするのは、何かを放棄しているようにも見える 誰でも何もかも全く否定されずに存在できるならそこが楽園でもある
ただし、その外に再び出るのは困難だ

自分が他の人の事をこんなに感じているのだから、相手もいくらかは分かってくれるはず…のような期待はしない方がいい 相手は分かってないと感じて更に辛くなる自分の特性に付箋を貼っておこう!

自分が世の中の刺激に対して敏感で軟弱であって耐えられないように
誰にでも苦手でお手上げなことがある

誰かにとってはこのタイプは「宇宙人」でしかないと知っておこう
宇宙人VS宇宙人なら 大きな意味でお互い様です

 

社会で生きていくなら

扱いにくい人が優先されると勘違いしない方がいい
扱いにくい人同士でコミュニティを作って他を排除しないほうがいい
敏感なことを特別な才能にして訳の分からないことを大声で言わないほうがいい

コモンセンスを知っておこう
Common Sense:社会生活をする上で、誰もが知っているべき共通の認識、あるいは、思慮、分別、良識など倫理的な事柄

もちろん、自分を諦めないほうがいい
自分のコミュニケーション法を鍛えるほうがいい
もともと感性は特別なのだから磨きがいがあるはずだ

それから、
分かり合えないのなら、分かり合おうと努力しない方法もある
最後はひとりでやっていく割り切り、覚悟があるといい
うむ…これは特別なタイプだからという限定的な話ではない
人間関係に行き詰まったら自ら去る覚悟も必要になる


むしろ、HSP気質は自分の世界は豊かだ
胸を張って内向きになっていい
内と外の境界を鍛えよう
ソトヅラを鍛えよう
ペルソナ(仮面)は悪じゃない

 

私が一番大切だと思うのは
自分の世界に自信を取り戻すこと
概ね成長する過程で自信がすり減っているんだ

心の宝探しと私は言ってる
お宝はたくさんある

自分の心を耕すことが出来るのは自分しかいない
自分の心にあるお庭は人と違うと知っておこう
知ったうえで耕していこう

人は再生する
自分を再構築できるんだ

 

中途半端とか、不安とか、妄想とか

何だかよくわからない間に勢いで始めてしまったハンドメイドのオンラインショップ
退店の時期のシバリがあって早期撤退を逃してしまった感がある

いつやめようかなぁ…と心の内でいつも言ってる気もするけれど
現実にはやめてないのだから、実は楽しんでいるのだろう

中途半端はいいワケない

のだが…

中途半端をのらりくらりができているのは
私にとってはいいことなのかもしれない

いわゆるグレーゾーンが自分にあって
白黒決着させないで生きている、今ここ

「いい塩梅」のブレとかズレがあってもいいという考え方がつい最近までできなかった
全てを決着させないと気が済まないアタマの固さ
諸先輩方々から「不器用!」と言われてきた
半面一度アタマに入ったらブレない特性でもある

こういうタイプって
本当に生きづらいんだよね…

何をやらせても正確にパリっと仕上げる頼れる人
でも、ナニカ人間性に欠けるマシーン
と見えるらしい…

完璧主義、完全主義、努力家、とか…言われることが多いのだけれど
どれも白か黒かはっきりさせるための手段でしかない

どこかにきちんとはめ込んでおかないと

多分、不安で怖い

だけです

 

でもって

 

不安も恐怖も本人の妄想

と分かってしまえばなんちゅうことなくやめられます

 

ああああ

これも白黒つけたいだけなのかもしれない…
結論までの道が短いなぁ…

 

さて…
前述のハンドメイドのお店
昨年のクリスマスごろに唐突に「福袋」を思い立ち
実は中身が決まってないまま告知を始めたという
過去の私を知る人は
どうしちゃったんだろう~と言うかも
なんてことをやってしまった

お陰様で完売しました

人生ってこんなもんかもしれません