セミリタイヤ 時々○○…

あれこれいろいろ半分降りてみた 3歩くらい下がって思うこと

書く人とか 書かない人とか 対話力とか

ふと思い立って大昔のBlogを探してみた

きちんとケリもつけないで10年以上放置していたのだが

まだアクセスがあるようで驚いた

へぇ…ってもん

 

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何かを書く人と書くことに躊躇する人がいる

商業的な目論見がある場合は別として…

何かを書く、書きたい人はあまり大それたことは考えてはいないと思う

書きたいことを書いていたら気に入る人が現れて読まれていく

Blogの創成期はそんな風だった

 

先ほど見つけた古いBlogはまさにそういう書き方をしている

気になる話題を見つけて自分流にあーだこうだ書いていて

今読んでみると自分でも何か新鮮な感じを覚える

 

文章を書きたいというだけで書く人の中に

自分の内側の会話、内部対話を書いているな…と感じることがある

誰かに読んでもらう前提が薄く

自分の内側のイメージが展開を文章として表現しているのだろう

そんな印象の言葉が続く

 

さっき掘り出した昔のBlogは内部対話のタイプだ

他の人への説明はされず、内側に起こっていることを書いている

私自身は自分の体験を読んでいるワケだから

ありありとイメージは沸いてくるのだが

始めて読む方はどんな感じを持つのだろう…

 

主観がほとんどを占める文章

ということで

読み手の想像力を刺激するのかもしれないな…

 

話を聴く力は相手の話の腰を折らない力でもある

内部対話をする人、自分の内側で対話が起きている人は

考える自分と感覚の自分がきちんと分かれている

アタマとこころが対話しているということでもある

セルフカウンセリングを自然にやっているタイプと言える

 

すげーーーって思う方もいるかもしれない

苦労して身につけようとする人もいるし

思考優先のクセのある方には難しいことだから

 

人間にはいろいろなタイプがある

外界からの情報を必要とするタイプや

逆に内側の蓄積を基本にするタイプ

個性です

ある程度年齢を重ねると新たな方向に向かうのは難しい

 

人は変わりたいって切望している時は変われない

こんなにいつも悶々とするのは止めたい

と思っていたけれど

どうにかなるに決まってる

今では無駄な力は抜けている

対話したい時に気が済むまでやったらおしまい

そんな自分

 

さて…いつ私は変わったのか…

 

掘り出しBlog効果

自分振り返り中の午後