開花~満開~花散らしの雨
今年はあっという間に通り過ぎたサクラ前線
この時期 サクラ話題 で花盛り
さて…
桜の花を見ている私は何処にいるのだろう
そんなことを大真面目に考えるのは
心理学にどっぷり浸かって多少ビョーキになっている証拠らしい
慢性シンリ症候群 って言って爆笑する界隈でもある
桜を見上げて
「ああ…キレイだ…」
キレイの基準は何処にあるのか…とか
何と比べてキレイなのか…とか
これがサクラって知っているのは何故か…とか
今起こっている感覚は何処から生まれるのか…とか
そもそも…
キレイって何?
なんてことを
たまに大真面目に論じてしまう悪いクセのある人たち
心理業界隈の住人たち
「こんなアイディア(理論)もあるよね~面倒くさ!」
と言おうものなら
「真面目に考えてください ○○療法の観点では…」
と叱られるという…ウッカリ笑えない重症の方もいたりする
だからさ…
ナントカの中の○○
排他的水域
閉鎖的と思われるんじゃないかしら…
研究者でもない心理業者のすべきことは
理論を語るより違うところにあると思うわ…
ところで
桜を見ている私は何処にいるのか…
私は自称サクラハンター、地域のサクラの場所を把握し
毎年その時期になると撮影サイクリングを楽しむ
それぞれの桜の樹と1年振りの再会となる
1年の月日の間に枝が切られて花が少なくなったり
サクラの樹そのものが無くなっていることもある
通勤途中の坂道にあったはずのサクラが消えた時があった
住宅の立て直しで邪魔になったのかもしれない
そのサクラの樹が無くなったことに気がついた私は自転車を止め、暫く建築途中の住宅を眺めていた
私のアタマには春先の光の中で満開になっているサクラが見えていた
2月だったけれど
私のアタマは過去のデータからサクラを抽出し、この場所にあったはずの風景を再現している ということで私の心は今ではなく過去に居たことになる
それから、過去の風景を見た時の感覚もまた再現している
現実なら2月だけれど感じているのは春先4月の感覚
サクラのちょっと寂しい話です
そして、現実にもこんな心の働きはよく起こっていて人間関係を阻害していることもある 今ここに居ないために判断を間違うかもしれないってこと
そうそう…
自分の歴史から妙なデータを抽出しナニカに当てはめてしまうってことです しかも、無意識なので本人は気がつかない
あの時、”あの人”は私にこんな嫌なことをした
”あの人”に似ているこの人も私に嫌なことをする
このタイプは大嫌い
ブロックとか、思い込みとか、スキーマとか
禁止令とか、脚本とか、ルーティンとか っていうもののひとつ
はいはいはい…
慢性シンリ症候群の症状が出てきたようです
ははは…結局この沼にはまって出られないな…
そんなこんな