心理支援者は死ぬまで自己研鑽
うむ…結構格好いいかもしれない
事実自己研鑽を続けなければマジで感性は錆びてしまう 世界の様子が世界の人々に影響して人の心は全体的な傾向っぽいものがある…と私は考えている 自分の感覚、感性はどこかで停滞していなか、ナニカにしがみついて変化を恐れていないかチェックが必要になる それにセオリーやスキルは微妙に解釈が変わるし、新しいアイディアが生まれてくる それは心理学の勉強を始めてからずっと変わってない
サトーさんは歩みを止めない人だ
少し前にお世話になり続けている方に言われ、ちょっと嬉しい感じがあった
とは言え、若い頃「飢えた猛禽類」と例えられたようなガツガツ感は今はない
むしろ、身につけすぎたことを脇に置くための学びをしている ただ聴き、ただ理解し、ただ感じて返す 心の支援はシンプルでいい
自分が複雑になり過ぎていると思う
詰め込み教育の子供の頃、私は苦痛ではなかったタイプだった(成績は伴ってないけれど…)ガンガン学び積み上げていくことに快感がある
それとアレとコレを別々にアタマに入れておくと、ある時アレとコレが結びついて妄想の世界へ、アタマの中は個人的フィクション、ファンタジー そういうクセはいまだに健在だ
フロイトは…ユングは…アドラーは…そしてフランクルは…
(ちなみにこの大先生たちは何かの関りがあって、それぞれ興味深いのです)
妄想すると当時のオーストリアはどうなっていたのだろう…写真で見たオーストリアの街並みに大先生たちが歩き出す マニアックな世界の妄想は個人的な趣味で妄想を膨らませるために更に沼にはまる悪癖がある
何かを学ぶにはこんな個人的な楽しみがあると続けられる セオリーやスキルをただだた覚えようとすると苦痛になることもあるけれどお楽しみをトッピングすると学びの風景が変わる 学校を終えた大人の学びは「たのしみ」が優先されてもいい 与えら義務で学んでいるワケでもない
人はいつも選択している
今何を考えるか、どんな理由付けをするのか、何をイメージするのか…
私は何をしたいのかなぁ…何がたのしいのかなぁ…
たのしみ優先のこの頃…
そんなこんな