セミリタイヤ 時々○○…

あれこれいろいろ半分降りてみた 3歩くらい下がって思うこと

超感覚ニンゲンとか フツーとか

江戸時代じゃないんだから…

と呆れられる夏

夜明け頃目が覚めてしまう
そのまま洗濯をして~窓を開けて~多少掃除の毎日
江戸の町人のタイムライン
宵っ張りですけれども…

子供の頃から眠りが浅いタイプと言われていた
子供だから宵っ張りではなく親の方針で午後8時には就寝
目覚めが早くて早朝にヒマを持て余していた
ここで勉強でもしていたら人生変わったかもね…と思う

大人になって脳波の検査結果を「眠らない脳」とDr.が面白がったことがある
大学病院だったから「これは研修医の資料になる」と笑っていた
数回の検査はどれも同じだったらしい…
「これは疲れるなぁ…いやー珍しい!面白い」
って…
今時ならドクハラっぽい
研究者だから許そう…と私は思った昔の記憶

私の受けた検査は結構長い時間脳波を記録していた、途中睡眠薬のようなものを投与される ここで眠った状態の脳波を記録するらしい
でもって…
私の脳のある部分は通常運転を続けるそうだ
一般的には休む?はずの脳の機能が休まない
脳まで貧乏性なのかと当時は思った なんて損な身体なんだ…

因みに脳の使い過ぎ対策で視力を落とす眼鏡を使い始める
サトーの眼鏡は伊達じゃないか…っていうのはある面合ってた 眼鏡がなくても何も支障がない 見え過ぎるくらい見えていた 今は老視だけどね

そしてもう一つ

目の使い方が一般的でないらしい
ピントの合わせ方がフツーと違っていて一般的な視力検査では測れないってこと
またか…の「興味深い目の使い方です」某アメリカ仕込み検眼プロの言い分
彼の努力で今までにないドンピシャ眼鏡が出来たのは感謝しかない
随分調べて勉強になったという検眼プロからの後日談もある

不調の原因は目という感覚器の使い過ぎ
それから私は耳にも鼻にも似たり寄ったりの問題がある
超感覚ニンゲン⇒情報処理オーバーフロー⇒体調不良
検眼プロには超感覚を日常的に使っているのではないかと言われた アメリカ仕込みらしい表現かもしれない

兎にも角にも
フツーと違う超感覚ニンゲンを型にはめずにキチンと対応してくださった専門家に恵まれたのは幸運です

 

私はフツーからはみ出ていた
身体とこころは繋がっているのだからこころも多分はみ出ているだろう
子供の頃からこの子は変だとか、見えないモノが見えると言われたのは感覚のはみ出し方もあったと今では思える 一般的ではなかったらしい

社会では一般的でないことを嫌う 一般的、平均的なら平穏無事に生きていける
学問や芸術的な優秀さであったら尊敬されるかもしれないけれど、その方向にでないはみ出しはこの社会では認めてもらえない

私の子供時代は昭和、高度成長期
「24時間戦えますか!みんなでね」の時代だった
特殊なフツーではないナニカは大人たちにとってはむしろ恥ずかしかったのかもしれない そういう周囲の期待に応えて大人になるしかなかった時代、昭和です


こんな昭和を背負って苦しんでいる人は多いのではないか

とカウンセラーの仕事を続けてきて思っている
一般的、普通の型にはめ込まれてきた自分しか知らない人
それが自分だと信じていて
なおかつ、そんな自分に違和感を抱いている
漠然とした矛盾感 自分を生きていない感じ

世の中は変化して個性が大切と連呼する時代になった
私は私でいい
だけれどその”私”をよく知らないのが現実

 

人はデコボコがある
何かがはみ出していて 何かがへこんでいて当たり前
世の中で少数派だって概ね問題ない
ただし周りとぶつかって問題を起こさないような気配りは必要

本当の自分は必ず居るし、きっと見つけられる
そうして見つけた自分を生きていく
自分を認めたら
きっと満たされた人生になる

そう信じて こんな仕事しているんだと思う