セミリタイヤ 時々○○…

あれこれいろいろ半分降りてみた 3歩くらい下がって思うこと

こだわりを捨てるとか

「こだわりを捨てる」っぽいタイトルの本が目についたのは少し前になるかな…

こだわりは良くないと言われるのは何かに特別な思い入れがあることで行動が制限されてあちららこちらで衝突が起こったり、なにより自分自身が生きにくくなるからだろう

こだわりは他の人が気にならない特定の何かが(多分)必要以上にきになるし、気持ちがソレの方向にしか動かない 「執着」している状態

こんな状態に気が付いた人が「これはいかん」ってことで手放す努力をしてみたくなる 手放したら生きにくさが解消されるにちがいないと思う そういうサポートBOOKが世にでてくるのは当然なんだろうな…

 

こだわりは自分で気が付くこともあれば、人さまから指摘されたり非難されることで気が付くこともある 後者の場合、気が付くよりも助言をした相手を認めず非難返しをすることの方が多いのではないかと思う 多くの人は自分の”確信”や”信念”を頼りに生き方を決めている 容易に変えられるワケがない
確信とは=かたく信じていること。信じて疑わないこと。
信念とは=それが正しいと堅く信じ込んでいるこころ

確信・信念は意識しない心の奥にあって故に自身であっても知らないことはある
世界は○○ 他人は○○ ××は○○ と信じて疑うことがない

こだわりは”確信”や”信念”になっている「ナニカ」ってことで、このナニカが一般的な平均とのズレが大きいほど大変生きにくく感じる なのでズレを小さくする、要するに妥協案を見つけると生きにくさは減るはずだと考えることはできる

だが、こだわりを捨てることは”信念”や”確信”を修正するか捨て去って亡き者にするということで、これまでの生き方を自分で止めて新たなナニカを構築すること、こんな作業をあっさりできるワケがない

私が頼りにしている「交流分析」ではこだわりはぞの人が書いた「脚本」だと考えていて、自分自身が書いたのだから自分で書き足して修正もできるはずで、何を書いてきたか、何処を書き直せばいいのか分析することから始める

と言っても…

兎にも角にも本人自身がこだわりに気づかなければ何も始まらない
自分の生きにくさは世界と世界に住むニンゲンのせいであって自分に原因がない
と、こだわっていたとしたら、そしてこだわっていることを知らなかったら
こだわりの結果そこにある生きにくさをどうにかできることはない

 

うまくいかない時はそこにナニカがある
こだわりは気づくこころを邪魔する
そのこだわわりで生きてきたのだから自分にとっては当たり前のことだ

うまくいかない時はそこにナニカがある
こだわりかもしれないが
視野の狭さとか単純な勘違いもあるかもしれない

ナニカあると知っておこう

世界はシンプルな方がいいと思うよ…

オンラインワークショップやります