セミリタイヤ 時々○○…

あれこれいろいろ半分降りてみた 3歩くらい下がって思うこと

大掃除とか、べきべきべきとか、

年末の行事 大掃除

今年の6月骨折したこともあり家に籠る時間が長かった
故に掃除はコツコツやってきたのもあって
年末大がかりな掃除は私はしない!

へへ…私はしないのであって
他の家族はしなくちゃならん!
コツコツ君 ブラボー!

師走の陽射し 

我夫の実家は大掃除という概念がないらしく
年末でも年始でも家の様子は変わらない
商売やってるから仕方ない・・・と姑様は言っていたが
私は商売やってるからこそ必要ではないかという想いを飲み込んできた

若かった頃の私はいろいろ「思い込み」があった
原家族はキチンと風習にのっとった生活だったものだから
夫の家で同居していた頃は面食らうことばかりだった
そして、ある部分は未だに馴染めない
モトイ 馴染もうと努力するのもやめたんだね…

若かった頃、子供が幼かった頃は家中の掃除を一人でやった
それから、お正月の料理の準備をしながら
この辺で言う「お年とり」(年越しの宴)を執り行い
年が明けたらお年始回り というハードスケジュールをこなした
実は例の「思い込み」のなせる業でもある

べきべきべき!

年末はこうあるべき
年始はこうあるべき
そして家事中心人物はこうあるべき

ってもんで何の疑いもないどころか
刷り込み学習の成果ここにありってヤツ

小さい頃から取り込んだ「モノ」を変えるのは難しい
何故なら
それが取り込んだモノであって自分自身ではないとわからないから
だから
最初に「気づき」が必要
気づけばとりあえずその場で止まって振り返ることができる

何が違うか…ってことね

 

前段の年末の行事は我実家のスタンダード(地域の習慣)ではあるけれども、グローバルスタンダードではない 違う家があって当然
と冷静でかつ思考している私なら言う

ふむふむ…勉強の成果だわ…

 

でもって…

生きにくさ、生きづらさ の根っこはこんなところにある

私の(確信する)スタンダードは守られなければならん!

と無意識が叫んでる~
そして私はそうしないと気が済まないし~
そうしないと悪いことが起きそうなきもする~

 

思い込みですから…ね

 

生きにくい、生きづらさを感じてつらいなら生き方を変えなさい

なんてことをサラッと言うことは多いけれど
簡単にできるワケはなんだ

一旦、自分に取り込んで確信、信念となったことは修正は困難です
無意識レベルの自分の虎の巻のようなもんで
出来事を見て意味をつける時に必ず参照している
他の可能性を引っ張り出すには相当の意志の力や冷静な思考が必要、しかも感情のコントロールも伴う

難しいよ…

世界は自分のためにあるわけでもない
他人のためにあるワケでもない
平等で公平のはず
他人と自分の違いをどこかでケリをつけないと
他人の責任まで背負う羽目になってしまう

ということで

とりあえず、話す時、考える時
全てに主語をつける!
そうそう…
私は私の事をするだけでいいのですと自分を説得するワケですね

私は自分の分の掃除はするので、あなたはあなたの分を掃除してください

って区別する訓練

べきべきべき…
何故 ヤツは○○すべきなのにしないんだ

それはヤツの決めたことだよ~
知るか…

と…私は訓練してきたワケです
ま…時間はかかりましたが余計な荷物は背負わなくなりましたとさ…